平成27年を振り返る

 *以下は、平成27年12月23日に開催された大日本皇國党京都総本部再興記念講演会の内容を収録したものです。掲載に際し、要約や編集をしている箇所があります。


 本日は年末のお忙しい中、お集まりいただきましてありがとうございます。本日は、我が大日本皇國党の京都総本部再興記念講演会ということで、我が党の創立者で初代総裁、そして現在最高顧問であられます助兵衛先生をお招きして、今年平成27年を振り返り、様々な政治的論点を整理していただき、新年の活動指針を考える機会にしていきたいと思います。
 それでは、早速ではございますが、講師の先生にご登壇いただこうと思います。助兵衛先生、どうぞよろしくお願いいたします。

 ご紹介にあずかりました助兵衛です。お話に入る前に、この京都の地は、私が学生時代を過ごした思い出深いところです。そして、この地で大日本皇國党を立ち上げ、政治活動の拠点とすべく活動しておりましたが、残念ながら、諸般の事情で、いったんは京都を退くことを余儀なくされました。活動の拠点を失い、数年のブランクが空いてしまうということは、私にとって、また我が党にとって屈辱的な出来事であり、こうした出来事の原因を作った者達とは、徹底抗戦を続けていかなければなりません。これからも、この京都総本部への妨害行為が繰り返されるかも知れませんが、たとえどのような行為が為されたとしても、屈することなく、もちろん合法的に、戦っていく所存ですので、皆様におかれましても、よりいっそうのご支援をお願いする所存です。
 いずれにせよ、京都総本部を取り戻すことが叶ったことは、たいへん喜ばしい限りであります。

 さて、本年、平成27年も残すところあとわずかとなりましたが、今年はいろいろな出来事がありました。世界情勢を見ても、パリでの同時多発テロやISによる無差別なテロ行為、中国の天津をはじめとした爆発、そして国内に目を向ければ、安全保障関連法の成立など、大きく動いた一年でした。
 ここで、これらを中心に、今年一年を振り返ってみたいと思います。

 「戦争」の定義が変わっている

 パリでのテロ、ISによって世界各地で繰り広げられるテロ行為は、いずれも許すことのできない出来事です。フランスは既に原子力空母を派遣し、報復する体制に入っております。これは当然のことです。国家には、自国民を守る責任と義務があります。フランスは、ただそれを果たしているだけです。
 今回のテロもそうですが、平成13年のアメリカ同時多発テロも含め、これらは「犯罪」なのか「戦争」なのかという点をはっきりさせておかなければならないと思います。テロは「犯罪」、と考えられがちですが、果たしてそうだろうか?と思うのです。たしかに、爆弾一つ仕掛けて爆発させるとか、政府要人を狙って攻撃するとかならば、「犯罪」という名で片付けられるかも知れません。しかし、昨今のテロはどうでしょう?
 多数の一般市民を巻き添えにして、国際的な規模で組織的に動いているのです。これは「犯罪」のレベルでしょうか?
 私は、もはや「戦争」と考えるべきだと思っています。「戦争」とは、国と国との間で起きるものだと思っているかも知れませんが、もしそうであるならば、その「戦争」というものの定義が変わっているということです。「戦争」は国と国との間でのみ起きるものではない。国際的な武装組織との間でも発生するのだ、と。ISはテロ組織というよりも武装組織です。軍事的に弱い国家よりも強い軍事力を持っています。このことからも、テロ組織とか犯罪者とかいう次元ではないことが分かっていただけるでしょう。

 安保関連の騒動について

 日本でも、安全保障関連法案が審議され、安全保障関連法が成立しました。その過程で、多くの反対運動がありました。安全保障関連法ができれば、まるで明日にでも戦争が始まるかのような主張が繰り返されました。その中で私が特に気になったのが、憲法前文の平和的生存権と絡めての主張です。憲法前文からその箇所を引用すれば、平和的生存権とは「恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利」のことです。
 さて、国内外に平和を愛する人しかおらず、テロも犯罪も戦争も起こらないような楽園が存在するのであれば、この平和的生存権の意味するところは、戦争を放棄し、軍隊を持たず、あらゆる形の暴力を排除することであってもかまわないでしょう。
 しかし、犯罪も戦争も、現実には起きています。犯罪を防止するために警察がおり、むろんそこでは、犯罪者を取り押さえるために行使される必要最小限の暴力行為は肯定されます。では、テロや戦争ではどうなのでしょうか?
 先にも述べたように、テロや戦争は、警察が相手にできる程度とは限りません。犯罪の防止に関わることはできても、テロ組織や武装集団と相まみえることは、警察の仕事ではありません。
 そして、武装集団は、国内外のどこから現れるかも分かりません。いうまでもなく、日本に平和憲法があるからといって、武装集団が手加減してくれるはずもありません。むろん、武装集団に憲法九条はありません。
 こうして考えたとき、私たち日本国民が「恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利」を享受するためには、何が必要なのでしょうか? 憲法九条だけで、本当に良いのでしょうか?
 日本政府には、日本国民を守る責任と義務があります。これは憲法がどうこうという次元の話では無く、国家として当たり前のことです。私たち日本国民の平和的生存権、すなわち、テロや武装集団が襲ってくるかも知れないという「恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利」を保障するためにこそ、安全保障関連法は必要です。
 このことは、当然の帰結として、自衛隊も必要であり、核兵器の所持も必要である、という結論になります。日本は自衛隊を国軍歌詞、核武装すべきです。そうしてはじめて、諸外国からの軍事的圧力やテロ組織ないし武装組織から攻撃される恐怖におびえることなく、平和な暮らしを続けることが可能となるのです。これこそ、平和的生存権です。

 国内の問題について

 国内の問題に目を移せば、消費税や社会保障の問題は相変わらず解消に向かっておらず、愚かにも消費税増税に向かっているのは、たいへん残念でなりません。それが如何に問題かは、既に何度も申し上げてきていますが、日本の景気にとって、経済成長にとって、マイナスの要因でしかないのだということを、改めて申し上げておきたいと思います。増税ではなく、景気を刺激し、消費を促進することを目指すべきです。経済の発展、資本主義の発展の基本は消費です。消費無くして成長無し、と言っても良いぐらいです。
 介護の問題については、要介護者が減ることは当面期待できません。むしろ増えるばかりです。介護の労働者として外国人を受け入れてはどうかという議論もありますが、これは慎重になった方が良いでしょう。文化も伝統も、何より価値観の違う外国人労働者が、日本の高齢者の介護ができるのかという問題を考えなければなりません。単に人手がそろえば良いという問題ではないのです。そして、現状を言えば、人手が足りていないわけではありません。人が介護に回っていないということなのです。以前に比べてハローワークを訪れる求職者の数は減ってきていますが、依然としています。介護の仕事を選ばないのですね。選り好みしている場合ではないはずなのに、贅沢な話です。
 なぜこんな贅沢が起こっているのかというと、その元凶と呼べるのが生活保護制度です。嫌な仕事はしない、それで仕事が無いからと行政に泣きつく。そしたら生活保護がもらえる。こうして生活保護受給者がどんどん増え、そのための予算も増え続けているのです。
 病気や高齢で働くことができず、自分の生活が維持できないから生活保護を受給しているというなら、事情は分かります。しかし、十分に働く能力がありながら、その能力を活かそうとしない。行政に甘えてお金をせびる人たちが少なくないのです。また、そういう悪知恵ばかり考えている人もいます。
 生活保護には不正受給の問題、受給者がギャンブルに興じている問題など、様々な課題がありますが、それらと同時に、そもそも制度自体のあり方を疑問視する必要があるのではないかと思っています。生活保護制度の基本は憲法第25条の生存権にあると言われていますが、生活保護制度は憲法に書いてあるのではなく、生活保護法という別の法律に書いてあるのです。したがって、生活保護制度に変わる別の制度ができたとしても、憲法に違反するものではありません。
 本当に困っている人は助けるが、そうでない人は除外する。こうした対策が求められるのではないかと考えています。

 徴兵制も視野に入れよ

 これまでの話を踏まえ、次の話に進めていきたいのですが、日本に今必要なのは、徴兵制だと思っています。安全保障関連法もできましたので、自衛隊が海外に出て行く場面も今以上に多くなると見込まれます。当然ですが、それなりの人手が必要です。
 そこで、日本にも徴兵制を導入し、特に正当な理由のない無職やニートと呼ばれているような人たちには、強制適用にするべきです。むろん、生活保護受給者も同じです。
 徴兵制については、いくつか選択肢を用意しておき、兵役が嫌なら、介護の労働に従事すれば良い、ということにしておきます。他にも、国家のため、世の中のためになるような仕事や活動をしている場合は兵役を免除しても良いでしょう。ただ、己のためだけに生きているような人、あるいは、世の中のためにならないことばかりしているような人には、容赦なく徴兵制を適用し、兵役に就くか、介護で働くかを迫るべきです。むろん反対運動は起きるでしょうが、どんなことでも反対する人はいるものですから、気にする必要はありません。
 兵役に就くことができない正当な事由がある場合や、兵役や介護で働いても生活が苦しいような場合に限って、生活保護の支給を認めるべきです。また、兵役=武装兵だけではありませんから、後方活動も含まれます。したがって、体力に自信がない人や女性も対象になります。女性の場合、兵役よりも介護労働の方が良いかも知れません。現に、介護現場では男性よりも女性の方が多いわけですからね。

 マイナンバーはやめるべき

 最後に、マイナンバーの問題について触れておきましょう。平成28年からスタートするマイナンバー制度について、個人情報保護の観点からいろいろな問題が指摘されていますが、マイナンバーがあってもなくても、個人情報保護の問題が生じるのは同じことです。既に行政は、私たち一人一人の情報を把握していて、マイナンバーが無くても、ある程度のことはできているのです。ただ、面倒なことはあるでしょうけど…
 マイナンバーが導入されて問題になるのは、民間企業がこれを知ってしまうということです。企業が従業員を雇用する場合、従業員のマイナンバーを雇用主企業が把握しなければならなくなります。行政だけが個人情報を扱うのではなく、民間企業までもが個人情報を扱うことができてしまうのです。
 雇用労働者は会社側からマイナンバーの提示を求められた場合、法的には、これを断っても問題になりません。雇用主側にマイナンバーを聞き出すことが義務づけられているだけで、個々の従業員には義務は無いからです。しかし、会社との関係、特に力関係において、開示を拒否することは相当難しいでしょう。そうなると、ほぼすべての従業員のマイナンバーを会社が収集することになるのです。
 従業員にとっては、会社に知られたくないような個人情報もあるでしょう。現在のところ、社会保障関連の情報とはつながっていないようですが、これも今後どうなるか分かりません。たとえば、これまでに社会保障費をどれぐらい払っていたとか、場合によってはどんな病歴があるかなどの情報まで会社に知られてしまうかも知れません。家族構成、親族に犯罪者がいるか、自己破産した人がいるかなどの情報も、会社が知ってしまえるようになるかも知れません。
 今すぐにではないから大丈夫ではないか、と安心しているかも知れませんが、いずれ時間の問題で、いろいろなことが可能となってしまい、そうなったときには時既に遅しということだってあり得るのです。
 また、会社以外で収入のある人については、喫緊の課題となるでしょう。水商売や風俗店で働いている人の中には、普段は会社で働き、夜や休日に会社に内緒で副業をしている人は少なくありません。会社に「私、仕事終わってからデリヘル嬢してるんです」とご丁寧に報告する人はほとんどいないでしょう。
 こうした人たちが、副業をしていることを会社に知られてしまったら、どうなるでしょう?
 自分に関する情報を自分自身でコントロールする権利、すなわちプライバシー権は、対国家だけではなく、対企業でも適用されなければなりません。会社にばれるのが嫌だから(怖いから)という理由で、風俗店勤務を辞めてしまう人がいるかも知れません。
 風俗業界はたいへん重要な役割を果たしています。もしあの人達がいなければ、世の中の性秩序はますます乱れ、売春が横行し、性犯罪の被害に遭う人たちが今より格段に多くなることが予測できます。お金を払えば性欲のはけ口が有るのと無いのとでは、大違いなのです。
 その意味では、風俗店で働いていることは何ら後ろめたいことではなく、そればかりか、むしろ性犯罪の防止や性秩序の安定に寄与する重要な役目を担っていると言うことができるわけですが、世間が必ずしもこうした評価を支持してくれるわけではありません。
 ですから、自分が風俗で働いていることを黙っている、隠していたい人たちの心情を考えて、マイナンバーの制度はやめるべきなのです。他にも、心と体の性が一致しない性同一性障害の方について、戸籍上の性でマイナンバーを発行されることにより、これまで勤務先等では心の性で振る舞っていたのが、戸籍上はそうではないということが会社に知られてしまうというリスクがあります。むろん、それを知ったからといって差別するなら、それ自体が不当なことですが、性同一性障害の方々に対する偏見が少なくない現状では、そう言っておしまいにはできないでしょう。
 同様に、戸籍上の姓と実際に使っている姓が異なる人についても、同じことが言えるでしょう。分かりにくいかも知れませんが、今申し上げている「姓」は名字という意味です。先ほどのは性別ですね。結婚、離婚、事実婚などの理由で戸籍上のとは異なる姓を使って生活している人は少なくありません。そもそも、会社の中で戸籍上の名前を用いる必要性はないのです。だって、風俗業界では、実名で仕事している人はいないでしょ? 「じゅんこ」とか「さやか」とかの本名じゃない名前で問題なく働けているわけですね。なのに、それ以外の職場では基本は本名を使っている。みんな適当に、他の人と違いますってことだけ分かれば良いのだから、そもそも名前なんて識別する記号でしかないんですよね。そもそも、鈴木とか佐藤とか田中とか、同じ職場に何人もいたりして、むしろA・B・Cとか1番・2番とかの方が、使い勝手が良いように思います。
 少し話はそれましたが、現在のところ、会社で使う名前は本名なのが基本であることを考えれば、結婚や離婚をしたことが会社内外に公然と知られてしまうわけです。それを防ぐために本名では無い名前を使用することがあって良いし、そういう自由に対して会社がそれを暴くような仕組みは導入すべきではないと考えます。
 以上のような理由から、私はマイナンバー制度には反対です。

 最後に、改めて、平成28年が、皆様にとって、日本にとって、世界にとって、良い一年になりますことをお祈りいたします。


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