第8回「運命は突然に…」
『最終新幹線の妄想』

 それから、いつもと変わらぬ日々が流れた。誠一はほぼ毎日喫茶店を訪れ、美穂とその両親のいずれかが接客するのだが、美穂は誠一が来る時間帯には、できるだけ店に出るように心がけていた。少しでも、誠一と言葉を交わしたいからだったが、お互いに、事務的な会話以外に交わすことはなかった。両親のいる手前もあった。
 そんなある日のこと。美穂の父親が体調を崩してしまう。はじめ、単なる風邪だと部屋で寝ていたが、熱がどんどん高くなっていく。
「ねぇ、あなた。病院に行った方がいいんじゃありませんか?」
と、妻に言われるも、
「いや、寝てたらなおるさ」
の一点張りだった。けれども、調子は悪くなるばかりだった。長年の心労のせいかもしれない。そういえば、もう随分、休みを取っていない。定休日といえども、なんやかやとやることがあり、休養を取る暇などなかったのだ。
「今日は店を休みにして、病院に行きませんか?」
と妻は提案した。店を休業することを夫は嫌っていたが、妻が無理矢理にでも連れて行かない限り、病院に行くことはないだろうとの判断からだった。
「何言ってんだよ。店を休んじゃいけない。どれだけの人に迷惑がかかると思ってるんだ」
 妻は悩んだ。往診を頼もうかと思ったが、宛がない。
 そんな両親のやりとりを見ていた美穂が、
「じゃあ、私がお店にいようか?」
と言い出した。まだ経験が十分とはいえないが、とくに問題なく店のこともできている。混雑時に間に合うように戻ってくれば、なんとかなるだろう。そう判断して、両親は美穂に店番を任せて、病院に行くことにした。
 病院に行ったところ、風邪をこじらせて肺炎を患っていたことが分かった。そこで、念のため入院するように言われてしまう。夫を入院させ、妻だけとりあえず店に戻った。
「ねえ、美穂。お父さん、肺炎になってしまったんだって。だから、しばらく入院するって」
「ええっ、それはたいへん」
「だから、早く病院に行った方がいいって言ったのよ」
「どれぐらいでなおるの?」
「さぁ、薬を飲んで、安静にしてれば、すぐに退院できるって、先生は言ってたけど…」
「じゃあ、一安心ね」
「でも、お見舞いに行かなきゃいけないし…」
「分かった。お母さんが病院に行く間は、私が店にいるから、心配しないで」
「ありがとう。頼むね。混雑する時間は、私もできるだけいるようにするから」
 結局、この日も昼食時間帯は二人で店をしたが、昼すぐに、母は病院に向かった。

 美穂は一人で店にいた。昼間はたいへん混雑していたが、一人、また一人と、客は帰っていき、店には誰もいなくなった。
(お昼の時間が過ぎちゃうと、暇だなぁ…)
と美穂が思いながら店を片付けていた。
 ふと気がつくと、美穂が来ている服が汚れていた。
「あれっ、なんだろう?」
 それは、ソースか何かのシミだった。かなり目立つシミだ。
「これじゃ、恥ずかしくてお店に出れないわ。着替えないと…」
と呟きながら、美穂は店の奥に行き、着替えることにした。汚れた服を脱ぎ、上半身は下着があらわに露出した姿になったとき、店の電話が鳴っているのに気づいた。こんな格好で店に出るわけには行かないと思いながらも、
「今ごろなら、どうせ誰も来ないか」
と思って、美穂は厨房にある電話へと走っていった。
 電話は
「にぎりの出前をお願いします」
という、間違い電話だった。相手は近所の寿司屋にかけたつもりらしいが、電話番号が似ているせいか、よく間違い電話があって困ると母親がぼやいていたのを思い出す。
「もうっ」
と、少しぷんぷんしながら、美穂は着替えをするため自分の部屋に戻ろうとしたとき、店のドアが開いた。(つづく)


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