第5回「不満」
『最終新幹線の妄想』

 ああ、何たる妄想だろう。これらのすべてについて、何ひとつ根拠はないのだ。そもそも、この女性が美穂という名前かどうかも分からないし、そもそも違うと思う。だが、本人に名前を尋ねるわけにもいかず、勝手にカバンを開けて身元を確認することもできるわけがない。とするなら、想像するしかない。
 いな、彼女の名前が何であろうと、別にどうでもよい。ただひとつ、今ここにある現実は、最終の新幹線の中で一人の女性が窓の外を眺めながら泣いているということなのだ。彼女が美穂であろうがなかろうが、この事実には関係ない。彼女がなぜ泣いているのか、それを私は探ろうとしているのだが、そのこともそもそも彼女にとっては迷惑な話かも知れない。別に私はカウンセリングを頼まれたわけでもない。勝手に彼女のことを心配しているというだけのことだ。さらにいえば、もし彼女がもう少し年配だったり、あるいは男であれば、たぶん私は何の心配もしなかったであろう。私が心配したのは彼女の若さゆえ、性別ゆえだった。それともう一つ、彼女の美貌ゆえだった。
 美しい女は得なのだろか。ブスやデブなら心配もしてもらえない代わりに、周りの目線を気にすることがないという意味では自由で気楽である。彼女は美しくスタイルがよいがため、隣の乗客、すなわち私にじろじろと見つめられ、余計なことも詮索されるのだ。ただ、私が何を想像しているか、彼女は知らないだろう。となると、私の想像自体は自由であり、一人で楽しんでいれば問題ない。
 いくつか気に入らない点がある。まず、彼女が夫との間に子供をもうけたという点である。子どもがいるという以上、当たり前だが彼女は処女ではない。最低でも一人のものは入っていることになる。彼女が処女だと思えばなお一層興奮できるだろうと思う。最近では、中学生でも処女を喪失している子がいるぐらいだ。高校生ではかなりの割合で経験を持っており、大学卒業時に処女というのはずいぶんと珍しい。しかも、かわいい子になると、非常に希少価値がある。よほど自分の意思で処女を守り通しているか、それとも外見だけよくて性格が最悪な子、したがって肉体関係をもつに至っていない子である。
 次に、彼女が子どもを手放した点である。もっともこれは彼女の自主的な意思ではなかったのだが、それにしても、障害を理由に子どもを見捨てるのは、やはり納得できないと思う。幸太郎に障害があったことは離婚の口実にすぎなかったが、夫が彦取ったからといって面倒をみるわけでもなく、施設に預けたのである。だとすれば、彼女自身が引き取って育てればよかったのではないかと思う。彼女はなぜそうしなかったのだろうか。そのことで彼女一人を責めるのは無理があると思う。彼女が育てられない事情があった。それが何であれ、女性一人で障害のある子どもを育てることの難しさがこの社会にあるということである。
 美穂はこの先、どういう人生を歩むのだろうか。郷里の奈良に帰った派よいが、一生ひとりで奈良で暮らすのか。東京での暮らしをすべて断ち切り、奈良で何をしようとしているのだろうか。新たな出会い、恋愛、そして結婚というプロセスの中で、東京での出来事、とくに幸太郎との別離はどう影響してくるのだろうか。

 美穂の両親は生駒で喫茶店を営んでいた。昼食の時間帯だけアルバイトを雇い、普段は夫婦二人で切り盛りしている。美穂はそこではたらくことになるのだろう。どこにでもある普通の喫茶店で、客層は近所の主婦などの割合が多いが、ときどき若い男性も現れる。すると、ここではたらくことになる美穂との出会いもあり得るだろう。(つづく)


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