第4回「幸福から不幸へ」
『最終新幹線の妄想』

 美穂は念願の出産を果たす。美穂の両親も、そして姑も、みんなが喜んでくれた。妊娠・出産はたしかに辛いこともあったけれど、そしてさらに遡れば、長年の生理痛にも苦しめられてきたけれども、こうして我が子を抱く喜びを味わえたことはそれらを吹き飛ばしてくれるほどの幸福だった。そんな美穂の幸せな気持ちを表すように、幸太郎と名づけた。
 だが、そんな幸せも長くは続かなかった。幸太郎に障害があることが分かったのだ。いつになってもものを見ようとしないのを不審に思い、ただ何気なく医師に相談したところ、直ちに眼科医に診せるように言われた。慌てて眼科に行ったところ、今度は大学病院を紹介され、すぐにそこで精密検査を受けるよう指示されたのだった。美穂は何が起こったのか分からなかったが、とにかく言われるままにするしかなかった。検査の結果、幸太郎はまったく目が見えておらず、光を感じることすらできないということが分かった。そしてこれは一生涯なおることはないらしい。
 夫も姑も、そのことを聞いて唖然とした。とくに障害者に対して差別的だった姑は、それまでかわいがっていた孫であるにもかかわらず、抱くことすら拒むようになってしまった。そして、更なる不幸が美穂を襲うことになったのだ。
 美穂が産休に入った頃から、夫の帰りは遅くなっていたが、これは仕事が忙しいからではなかった。ある時、専務から呼び出された夫は、そこで専務令嬢と知り合うことになる。もちろん、専務には引き合わせる意図はなく、ただ偶然の成り行きだったのだが、この時二人は互いに一目惚れしてしまう。専務令嬢との許されぬ恋。しかし彼を高く買っていた専務にとって、二人を結びつけることにはやぶさかではなかった。ただ一人、美穂の存在がやっかいだったのだ。姑にとっても、どこの馬の骨か分からぬ美穂を嫁にしているより、専務令嬢と結びつけておいた方が息子のためになると考えていた。それに追い打ちをかけたのが、幸太郎の障害だったのだ。
 美穂は夫と姑の両方から、離婚を要求された。美穂一人で幸太郎を育てられる自信はなかったが、姑は頭から施設に入れる前提で話を進めており、離婚後の幸太郎の親権は夫が持つことを同意させられたのだった。美穂は不本意だったが、このままここに居続けても姑からは嫌がらせを受け、夫からは無視をされるばかりで、精神的に耐えられなくなった。そこで、離婚に同意し、東京を去ることにしたのだった。
 美穂の帰るところは、郷里の奈良しかなかった。両親には、もう心配をかけたくはなかったのだが、美穂にはもう行き場がなかった。悔しかったが、そうするしかなかったのだ。

 それでこの新幹線に乗っている。悔しさのあまり涙を流しながら。楽しいことも、悔しいことも、たくさんの思い出が詰まった東京の夜警を車窓から眺めながら、やがて見えなくなる東京との別れを惜しむようにして、美穂は窓の外を眺めるのだった。
 最終のぞみは、品川駅に到着しようとしていた。(つづく)


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